投稿者: 詩絵音

  • 知らないおばあさんの家に入る

    知らないおばあさんの家に入る

    真冬のソウルに行った。温暖化のせいか、覚悟してたほど全然寒くなかった。泊まったのは東大門(トンデムン)のあたりで、1畳半ほどの死ぬほど狭い安宿だったが、オンドル(韓国式床暖房)でポカポカだった。

    ソウルの街は起伏が激しい
    布団一枚の面積しかないがポカポカな部屋。壁の白いパネルで温度を調整する。天井が高いから意外と圧迫感もなかった。

    到着の翌朝、頑張って早起きして近所を散歩する。急斜面に家々が立ちならぶ迷路みたいな街だった。

    路地で写真を撮っていたら、腰の曲がった手押し車のおばあさんが声をかけてきた。韓国語で「もしかして学生さん?」と言われたのが聴きとれて嬉しかったが、あとは何て言っているのか全然分からなかった。

    おばあさんはしきりに急坂の上を指差しているので、「この上は眺めが良いから行ってきてごらん」って教えてくれてるのかな〜と勝手に解釈してヘラヘラしてたら、突然ジャラッと謎の鍵束を渡された。

    いったい何の鍵なんだと困惑していると、おばあさんが今度は英語混じりで説明してくれた。坂の上に家があるのだが、スマホを忘れてきてしまい、この足腰では戻るのが大変だから、代わりに取ってきてくれということだった。

    知らない人に家の鍵渡していいのかよ! とブッたまげた。

    坂を登ってみると、確かにおばあさんが説明した通りの家がある。本人に頼まれたとはいえ不法侵入にならないかとドキドキしながらドアの鍵を開けると、おばあさんの部屋はめちゃめちゃ散らかっていた。物が多すぎてスマホどころではない。でもオンドルでポカポカだった。

    おばあさんの家はこの坂の先にあった

    なかなか携帯が見つからず、おばあさんもさすがに不安になったのか、後ろから一生懸命坂を登ってくる。早く見つけてあげないと僕に頼んでくれた意味がなくなるので、余計に焦る。

    ようやく見つけた携帯は、よりによって迷彩柄のカバーに入っていた。

    「ありました!!」と叫んで外に出ると、おばあさんはもう玄関前まで来ていた。結局あまり役に立てなくて少し申し訳なかった。

    すぐに着信音が鳴り、おばあさんは呑気に誰かと通話しはじめた。なんか僕だけずっとワタワタしていた。おばあさんは通話が終わるとニコニコお礼を言って別れ、また急坂をゆっくり降りていった。

    やはりソウルでは東京よりも知らない人にものを頼むハードルが低いんだろうかと気になって、帰国後に韓国出身の友達に聞いてみたら、それは現代ソウル人でもびっくりする、きっと世代差もあるだろうと言っていた。

    僕もいつか将来、腰が曲がって家に忘れ物をしたら、大丈夫そうな人を見つけて頼んでみようかと思った。

    この写真を撮っているときにおばあさんに話しかけられた
  • 採血カルディ

    職場で健康診断があった。検診票をもって受付に行くと、「まずあちらで採血からどうぞ」と言われた。まさかいきなり初手が採血とは、心の準備ができてなくてドキドキした。

    針も苦手だし、自分の血が試験管に入っていく様子も苦手だ。見てるだけで自分から血が抜けて貧血になりそうな気がするから、いつもできるだけ目を逸らすようにしている。採血ブースに行くと、試験管を3本渡され、こんなに抜かれるのかと思ってげっそりした。

    高校時代、ワンゲル部(登山部みたいなやつ)の同期に、献血を趣味としている奴がいた。

    血を抜かれてる間に無料でジュースが飲めて漫画も読めると言って、献血カードを眺めながら次に献血ができる日を心待ちにしている奴だった。お前もぜひすべきだとしょっちゅう勧められたが、何だか気が進まず行けなかった。

    彼は無料で何かを貰うこと全般に詳しかった。

    新入生が体験入部に来たとき、河川敷までランニングして喉がカラカラになった。するとそいつが「タダでドリンクがもらえるから帰りに寄ろう」と言いだした。

    どこかでポカリでも貰えるのかと思って新入生と一緒に付いて行ったら、着いたのは近所のイオンのカルディだった。3人で体操服のまま甘い試飲コーヒーを貰って飲んだ。もっと喉が渇いた。

    体験入部でカルディに寄るなんて新入生が逃げちゃうんじゃないかと心配だったが、結局その新入生は入部し、1年後には部長になった。

    喉は渇いたが美味しかったから、それ以来僕は街でカルディを見かけると立ち寄り、そいつのことを思い出しながらコーヒーを貰うようになった。

    採血されている間、目の焦点をできるだけ遠くの壁に合わせて、カルディのことを考えていた。あまりに試験管から目を逸らしすぎて、担当の人から気絶寸前かと心配されたが、今回はカルディのおかげで平気だった。

  • 溶けるじゃがいも

     カレーを作ったらじゃがいもが跡形もなく溶け去ってしまった。最初から鍋にじゃがいもを入れて炒めたのがいけなかった。

     反省して翌週には炒めの終盤にじゃがいもを入れてみたら、ちゃんとじゃがいも入りのカレーになった。

     そこで今回は思いきってじゃがいもを入れるのを一番遅くしたら、また跡形もなくなった。なぜなのか。

     茹でるとき沸騰しすぎてたのかもしれない。締切が一つ終わって、今夜は祝杯カレーだとウキウキしてたので、哀しい。良く言えばカレー味のビシソワーズだと思って食べた。

  • 香港銭湯

     今日は風が強くて寒かった。

     髪を切った帰り、寮時代によく通った銭湯に久しぶりに行った。裏路地の奥、古びたコンクリートマンションの一階にあって、その雰囲気から「香港銭湯」と呼んでいる。

     ここの湯船は周りに大きな庭石がゴツゴツ並んでいて、屋内なのに温泉地の露天風呂みたいになっている。今日は人が少なくて静かだった。

     洗い場でシャンプーしながら湯船を見たら、石の上に誰かのタオルが置いてあった。さっき出てった親子が忘れたのかと思った。

     よく見ると、石ではなくおじいさんの頭だった。

  • 線香花火集団

    線香花火集団

     あまりに涼しくて気持ちいい夜なので、歩いて帰ることにした。夏のじりじり焼かれる感じが結構好きだから、毎年8月下旬になると夏が終わってしまうことが寂しくなるけど、いざ9月が来て涼しくなってみると、いつも秋ってなんて素晴らしいんだろうと思う。

     今日はあまり歩いたことがない裏道を通ってみる。日頃できるだけ裏道を通ることにしている。車の騒音や怖さに煩わされなくて良いし、柵で仕切られた大通りの歩道よりものびのび歩ける。かといって広すぎて荒涼ともしてなくて、むしろ小さな家やマンションがひしめいていて楽しい。10分くらい遠回りになっても、時間があるなら裏道のが良い。たぶん、道が広くて車が多い名古屋で育ったから、よけい裏道が好きになったんだと思う。

    木造の3階建ては、生きている怪物のような迫力がある

     みんなも同じように涼しさにのびのびした気分になったからか、裏道でも人がそれなりに多い。最初に秋の素晴らしさに気づいたのは、高校2年の頃だった。最寄駅にある少しおしゃれなお店からスパイスか香水の良い匂いが漂ってきて、ハッと「秋って素晴らしいものなんだ」と気づいた。毎年、春でも夏でもなく、秋になると色んなお店からオシャレな香りがするようになる気がする。それまでも涼しい風や紅葉は普通に好きだったけど、その一連の風物を「秋なのだ」と認識したのが高2だった。

     もっと細い裏道にさしかかって、人通りもまばらになった。このあたりは大正時代まで川が流れていた暗渠の道だ。これほどぐねぐね曲がりくねった小道を他に見たことがない。

     すると突き当たりに小さな書店の灯りが見えて、香ばしい匂いが漂ってきた。なんと、お店の人が友達と軒先に集まって、線香花火をしているではないか。いいなー!! 今日はこの線香花火集団を見るために歩いて帰ったのかもしれない。

    いいなあ!

     今年友達と花火した時、粗悪品だったのか全部火種がすぐに落ちてしまったので、少し線香花火に心残りがあったのを思い出した。テンションが高くなっている勢いに任せて仲間に入れてもらおうかと思ったが、お腹が空いたので帰った。

  • 立体駐車場ドーナツ

    立体駐車場ドーナツ

     自分の部屋だとあまり集中できないので、よく近所のミスタードーナツで作業する。この帰省中も、実家近くのミスタードーナツで博論の最終修正作業を進めた。特にハニーオールドファッションがおいしい。

     小さい頃、家族の車の中で山下達郎の『ドーナツ・ソング』をよく聴いた。歌詞に「公園通り」という場所が出てくるが、どこにでもある児童公園に隣接している道のことを言ってるんだろうと漠然と理解して、特に気にも留めなかった。

     「公園」とは代々木公園のことで、「公園通り」は渋谷のパルコがある坂道のことを指していると気づいたのは、上京してさらに5年くらい経ってからだった。

    佐賀駅には昔のミスド看板が残っていて嬉しくなった

     小学生時代のある日、ミスタードーナツに行くと、インド人のおじさん3人がレジに並んでいた。彼らのトレーには、ポンデリングやオールドファッションが3~4段重ねになって面積いっぱいに敷き詰められ、まるで立体駐車場のように聳えていた。

     僕は大人になればこんなにドーナツを食べても良いものなのかと感激したが、店内の他の客たちも「わぁ」と羨望のまなざしで彼らを見ていた。山のようにドーナツを大人買いするのは、誰もが一度は夢見ることだが、思い切って実行することは難しい。3人のおじさんは照れくさそうに微笑みながら、店員が大忙しに大量のドーナツを黙々と箱詰めしていくのを見守っていた。

     きっとチャイのためのお茶菓子だろうという両親の話から、僕ははじめてチャイという文化があるのを知った。

  • アメリカで自転車を売る

    アメリカで自転車を売る

     大学2年生の夏に1ヶ月半、アメリカに留学した。現地生と一緒に夏休みの集中講義を履修できるというプログラムだった。大学の国際本部が募集していて、旅費・学費用に奨学金が出た。

     カリフォルニア大学デイビス校(UC Davis)という大学で、カリフォルニアの州都サクラメントの近くにある。小さな商店街を歩いていくと、いつの間にかキャンパスに入っているような町だった。市街地よりも大学の方が大きくて、大学に飲み込まれているような町だった。

    キャンパスには牛舎まであるのだ

     農業が有名な大学で、キャンパスに牧場もワイナリーもあるほど広大だった。寮から授業のある校舎に行くにもかなり歩かなくてはいけない。学生生活には自転車が必須になる。

     ということで、デイビスに着いてすぐ自転車を買いに行った。比較的充実している町のバス路線を使って、Targetという郊外の大型ショッピングモールを目指す。広大な駐車場と巨大な四角い建物。いかにもアメリカという感じの、夜にはドクとマーティーがデロリアンを実験してそうなショッピングモールだった。

     1万円くらいの自転車と、極太のワイヤーロックと鉄棒のロックを1つずつ買った。物々しいロックを2つも買ったのは、歓迎パーティーで話した現地生の子が、治安は全然悪くない地域だけど、それでも鍵のない自転車は必ず盗まれると言っていたからだ。

     これまたアメリカンなだだっ広い道を走り、町に帰った。無意識に日本の癖で左側を走ってしまい、目の前からトレーラーが猛スピードで向かってきて死ぬかと思った。ここは右側通行の国なのだ。慣れるまでは少し時間がかかった。

    カントリーロードって感じ

     それにしてもデイビスは、アメリカ随一の自転車町を誇っているだけあって、自転車があると段違いに便利だった。いつも晴れてるし、どこまでも平坦だし、町中に駐輪スタンドがあるし、中央広場には「自転車の殿堂」という謎の施設まであった。小さな町だから、ちょっと走ればすぐに一面のトウモロコシ畑も見に行けた。

     さらにサンフランシスコにも自転車を持っていける。デイビスからUCバークレー(UC Berkeley)までシャトルバスが走っていて、自転車を乗せることができた。バークレーからは、自転車を持ったまま乗れるBARTという地下鉄で、サンフランシスコまですぐに着く。

     サンフランシスコの大通りを路面電車と並走しながら駆け抜けるのは最高の気分だった。ただ路面電車の線路がちょうど自転車のタイヤと同じ幅の溝になっていて、何度も挟まった。マーケット通りを突っ切ってフェリービルディングまで辿り着いたところで、とうとうパンクした。

     海外で自転車がパンクするというのは本当に心細い経験だ。置いていくわけにもいかないし、かといって押しながら歩き回るわけにもいかない。一通り途方に暮れたあとで、その日泊まる予定だったユースホステルに自転車を預けて、午後は歩いて散策することにした。

     翌朝は、すぐに最寄りの自転車屋に持っていった。屈強なおじさんが一瞬で修理してくれて感動した。この日はヘイトアシュベリーからカストロ、ゴールデンゲート橋まで、縦横無尽に走りまくることができた。

     たった1ヶ月半の相棒だったけど、帰国する時には別れるのが少し寂しいくらいに愛着が湧いていた。大学のFacebookネットワークで呼びかけると、買い値よりも高く売れた。買ってくれたのがどんな人だったのか朧げにしか覚えていないが、今もカリフォルニアの大地を走っているだろうか。

  • ウェブサイトはじめました

    ウェブサイトはじめました

     ずっとやりたいと思っていたブログ、ようやく設定を済ませることができた。じつは3年くらい前にもひっそりと開設した初代ブログがあったけど、本当に1投稿だけしたっきり一投稿坊主になってしまった。

     文字数が究極に限られているという意味では、SNSのほうがやりやすい。思いつきの話題でも「ここまでしか書けない」という制限があるぶん、かえって気軽に書いてそこで留めることができる。
     でも最近は、短文には短文の良さがあるけど、やっぱりもっと長くしっかり書いてみたいことがいよいよ増えてきた。旅先のこと、日常のこと、研究のことなど。

    去年の夏にみかけた、飲みこまれているクリーニング店

     ちょうどコロナの流行が始まって部屋にいる時間が増えて、書くなら良い機会だなと思って初代ブログの整備を暇をみては進めていた矢先、バージョンのアップデートがあった。初代のソフトはそこに適応できず、人工衛星のようにインターネットの彼方に漂いつづけることになってしまった。
     そのうちに修論や色々な手続きが激化して、さらにタイミングを失った。
     そんな紆余曲折を経て、やっと準備が整った。