月: 2026年6月

  • 知らないおばあさんの家に入る

    知らないおばあさんの家に入る

    真冬のソウルに行った。温暖化のせいか、覚悟してたほど全然寒くなかった。泊まったのは東大門(トンデムン)のあたりで、1畳半ほどの死ぬほど狭い安宿だったが、オンドル(韓国式床暖房)でポカポカだった。

    ソウルの街は起伏が激しい
    布団一枚の面積しかないがポカポカな部屋。壁の白いパネルで温度を調整する。天井が高いから意外と圧迫感もなかった。

    到着の翌朝、頑張って早起きして近所を散歩する。急斜面に家々が立ちならぶ迷路みたいな街だった。

    路地で写真を撮っていたら、腰の曲がった手押し車のおばあさんが声をかけてきた。韓国語で「もしかして学生さん?」と言われたのが聴きとれて嬉しかったが、あとは何て言っているのか全然分からなかった。

    おばあさんはしきりに急坂の上を指差しているので、「この上は眺めが良いから行ってきてごらん」って教えてくれてるのかな〜と勝手に解釈してヘラヘラしてたら、突然ジャラッと謎の鍵束を渡された。

    いったい何の鍵なんだと困惑していると、おばあさんが今度は英語混じりで説明してくれた。坂の上に家があるのだが、スマホを忘れてきてしまい、この足腰では戻るのが大変だから、代わりに取ってきてくれということだった。

    知らない人に家の鍵渡していいのかよ! とブッたまげた。

    坂を登ってみると、確かにおばあさんが説明した通りの家がある。本人に頼まれたとはいえ不法侵入にならないかとドキドキしながらドアの鍵を開けると、おばあさんの部屋はめちゃめちゃ散らかっていた。物が多すぎてスマホどころではない。でもオンドルでポカポカだった。

    おばあさんの家はこの坂の先にあった

    なかなか携帯が見つからず、おばあさんもさすがに不安になったのか、後ろから一生懸命坂を登ってくる。早く見つけてあげないと僕に頼んでくれた意味がなくなるので、余計に焦る。

    ようやく見つけた携帯は、よりによって迷彩柄のカバーに入っていた。

    「ありました!!」と叫んで外に出ると、おばあさんはもう玄関前まで来ていた。結局あまり役に立てなくて少し申し訳なかった。

    すぐに着信音が鳴り、おばあさんは呑気に誰かと通話しはじめた。なんか僕だけずっとワタワタしていた。おばあさんは通話が終わるとニコニコお礼を言って別れ、また急坂をゆっくり降りていった。

    やはりソウルでは東京よりも知らない人にものを頼むハードルが低いんだろうかと気になって、帰国後に韓国出身の友達に聞いてみたら、それは現代ソウル人でもびっくりする、きっと世代差もあるだろうと言っていた。

    僕もいつか将来、腰が曲がって家に忘れ物をしたら、大丈夫そうな人を見つけて頼んでみようかと思った。

    この写真を撮っているときにおばあさんに話しかけられた
  • 採血カルディ

    職場で健康診断があった。検診票をもって受付に行くと、「まずあちらで採血からどうぞ」と言われた。まさかいきなり初手が採血とは、心の準備ができてなくてドキドキした。

    針も苦手だし、自分の血が試験管に入っていく様子も苦手だ。見てるだけで自分から血が抜けて貧血になりそうな気がするから、いつもできるだけ目を逸らすようにしている。採血ブースに行くと、試験管を3本渡され、こんなに抜かれるのかと思ってげっそりした。

    高校時代、ワンゲル部(登山部みたいなやつ)の同期に、献血を趣味としている奴がいた。

    血を抜かれてる間に無料でジュースが飲めて漫画も読めると言って、献血カードを眺めながら次に献血ができる日を心待ちにしている奴だった。お前もぜひすべきだとしょっちゅう勧められたが、何だか気が進まず行けなかった。

    彼は無料で何かを貰うこと全般に詳しかった。

    新入生が体験入部に来たとき、河川敷までランニングして喉がカラカラになった。するとそいつが「タダでドリンクがもらえるから帰りに寄ろう」と言いだした。

    どこかでポカリでも貰えるのかと思って新入生と一緒に付いて行ったら、着いたのは近所のイオンのカルディだった。3人で体操服のまま甘い試飲コーヒーを貰って飲んだ。もっと喉が渇いた。

    体験入部でカルディに寄るなんて新入生が逃げちゃうんじゃないかと心配だったが、結局その新入生は入部し、1年後には部長になった。

    喉は渇いたが美味しかったから、それ以来僕は街でカルディを見かけると立ち寄り、そいつのことを思い出しながらコーヒーを貰うようになった。

    採血されている間、目の焦点をできるだけ遠くの壁に合わせて、カルディのことを考えていた。あまりに試験管から目を逸らしすぎて、担当の人から気絶寸前かと心配されたが、今回はカルディのおかげで平気だった。